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日本語は難しい。
2006/04/04(Tue)
今日は少し重たい話かもしれない。


苦手な人はスルーをどうぞ。



唐突ですが、日本語は難しいですね。


私は塾で英語をメインに教えていますが、英語や他の言語に接しているとますます日本語の難しさがわかります。ただ、その難しさは外国の人が日本語を勉強するときに感じる難しさとは少し違う気がします。


たとえば、ある一つの事を誰かが言ったとしましょう。そしてそれを聞く人が10人いたとしたら、一体何通りの解釈ができると思いますか。


大きく分ければ2~3通りで終わるかもしれません。しかし、他人と100%考え方が一致するという人はごく稀にしかいません。


そう考えると、10通りの解釈ができることになります。


そしてその10人はそれぞれまた異なった意見を持っているのです。


人は自分と意見が似通った人を応援し、異なる人と議論を交わします。その際、相手が自分とはまったく異なる意見を持っている際、「それはおかしい」と相手の意見を崩しにかかります。


それはそれでいいことなんですが、その際、ほとんどの人はあくまでも自分の環境にそくして物事を考えると聞いたことがあります。当たり前のことですね、自分が生きてきた環境は自分にしかわからないし、他人が生きてきた環境を自分が体験することもできないわけですから。よく「お前の気持ちはわかる」といいますが、本当にその人の気持ちを完全にわかる人はいないと思います。あくまでもその人の環境が自分と「似ている」からわかったつもりになっているだけです。


物事の良し悪しは結局各人が持っている意見のうち、多数のほうが採用される、あるいは権力を持つものの意見が採用されるということが多いと思います。しかし、採用されなかったからといってそれ以外の意見が間違っているかといえば、必ずしもそうとは限りません。


ROに限らず、ネットではこれが時々問題にあげられます。相手の顔も見えず、どこの誰かもわからない相手。そして自分も相手にその詳細を知られないわけですから、言いたい放題できますね。


自分の信念・考えを無理に曲げろとはいいません。むしろ、信念を貫くことは大事です。問題は、その状態で相手にどう接するかです。私は過去3年以上九尾のギルマスを経験していますが、その3年間の間に様々な問題も起こりました。そのほとんどは、やはり人との接し方が原因になってる気がします。そして未だに自分がうまく人と接することができているとは思いません。とても難しいことなんです。だから「自分さえよけりゃどうでもいいよ」って人が増えるんです。めんどくさくなるから。


日本語はさっきも言ったとおりとても難しい言葉ですから、なおさら人と接することは難しく感じるのかもしれません。「自分さえよければ」と思うならそれは結構。私もそう思うこともありますしね。しかし、そこで他人の存在を全否定するとなると、疑問を持たざるを得なくなります。「自分さえよければ」というのが「相手は確かにこういう考えを持ってるけど、でも自分はこう思う。だから自分の考えを貫く」という意味ならば、それが理想の形だと思います。





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